青森県の陸上競技を盛り上げたいーー。
そうアツく語ってくれたのは、UACA Jr.コーチである新盛コーチ。彼は、REXSISという青森市にあるジムでパーソナルトレーナーとして活動している傍ら、TFaomoriという団体の代表として、青森県内の陸上競技を盛り上げるため日々活動している。
日々、仕事やクラブ指導、動画撮影・編集と多忙な彼ではありますが、今回UACAはTFaomoriとパートナーシップを締結し、その一環として今回は彼にインタビューを実施。本日より3日間にわたりインタビュー記事の投稿をしてまいります。
写真:新盛聖人
ーー陸上競技を始めたきっかけから現在までの陸上競技の取り組みへの取り組みを教えてください
記事をご覧いただき、ありがとうございます。UACAJr.で小学生への陸上競技指導、中高生への走幅跳指導をしている新盛聖人(シンモリマサト)と申します。今日から3回にわたってブログ記事を担当することになりました。初回は私自身の陸上競技の取り組みについてお伝えさせていただければ思いますのでよろしくお願いいたします。
ーーよろしくお願いします。
私が陸上競技を始めたのは小学校6年生の時です。青森市には体育デーという、各小学校対抗の陸上競技の大会が毎年行われるのですが、そこで走幅跳の選手として選抜されたことが、陸上競技を始めたきっかけでした。初めての記録は3m97cm6位。人生で初めてスポーツの大会で賞状を貰えたことが嬉しく、陸上競技にのめり込んでいくことになります。
そこから中・高・大と10年間、青森県内で陸上競技を続け、最終的には自己ベストが7m16cmまで成長できました。走幅跳の選手にとって、7mというのは100mでいう10秒台のような1つの大台だと思っているので、選手時代にその記録を越えられたことは、私の中で大きな財産となっています。支えてくださった家族、仲間、コーチには本当に感謝しています。
ーー陸上競技をやられて1番の思い出はなんですか?
陸上競技をやっていて一番の思い出はといいますと、、青森のお米「青天の霹靂」のCMに出演したことです(笑)大学の陸上競技部に依頼があり、岩木山をバックに書き初めの用紙を持って走り抜けました。テイク7くらいまで撮影し、ヘトヘトになっていた記憶があります。
ーーどうしてテイク7まで撮影したのか気になります・・・(笑)それでは、大学卒業後のお話をお聞かせください!
大学卒業後は一旦青森県庁に勤め陸上競技を続けていたのですが、トレーニング指導や陸上競技指導の仕事に携わりたいという思いから退職し、今現在に至ります。
現在小学生の指導をしていると、「YouTuberになりたい」というワードがたまに聞こえてきます(笑)