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【試行錯誤】陸上競技の楽しさと難しさ

【試行錯誤】陸上競技の楽しさと難しさ
text by KOHEI NIYAMA

陸上競技というスポーツは、

基本、孤独です。

個人種目がほとんどであり、

スタートラインに立ちゴールに向かったり

自分の記録、限界に挑戦するのは

自分自身の戦いであります。

そんな陸上競技ですが、

常に孤独を感じるスポーツかと言われると

ハッキリ違うんだ!!

と答えます。

ですが、私自身は

常に孤独を感じることが多かった学生時代でした。

中学生時代、当時の顧問の先生が忙しかったのか

部活動にあまり顔を出してはくれなく

また、私自身今思うと

直接走り方に関するアドバイスを受けてなかったです。

ですが、ありがたいことに当時の私の周りには、

東北大会優勝者やジュニアオリンピック出場者がおり

その人たちの練習に対する姿勢や

走りのフォームを分析することができました。

ですが、その方達が卒業して

私は、ついに孤独を強く感じることに。

今まで、頼りにしていた方がいなくなることで、

より取りどころを失い、

またヒトから頼られることも多く

調子を大きく崩したのが中3の夏です。

市中体連では陸上競技を楽しんで走ることはできず

記録も低迷。なんとか県大会へ出場できました。

ですが、県中体連までには

あの当時の15歳の自分は、自問自答を繰り返し

割り切れて練習にあたりました。

後半の失速が当時の課題で、そこに関して走り込みをしていましたが

諦めて、50mまでどう走るかをテーマに置き練習。それが

功を示し、そこから県通信3位、県中体連4位となり東北大会にギリギリ滑り込みました。

高校に入ってからとにかく周りの速い方達と切磋琢磨しました。

が壁があつく、総体は高2新人戦までは個人は出場できず。

(当時100m11秒2台)

いざ、高2秋に出場した県高校新人は100mは5位で東北大会には行けず、

そして東北新人で出場したマイルリレーの予選で2走となり走りましたが

第3コーナーで接触がありバトンを落とし

失格。

高校3年のリレーは、県高校総体3連覇がかかった試合でした。

それまでの大会も私のところでバトンを落とし失格。

当時は頑張るほどに失敗を繰り返し

慰めはもちろんありましたが、結果的には

失格

なわけで。

本当に孤独でした。

今思えば周りは助けようと色々動いてくれていました。

が私自身それを流していました。

がその当時の恩師(高校の顧問で今は亡くなっております)に、

「新山君なんでそんな苦しそうに走ってるの?いつも走り終わったあとしゃがみ込んでる写真しか撮ってないよ・・・楽しもうよ!写真いっぱい撮ることしかできないけど、新山君の楽しそうに走ってる姿を撮りたい!」

と言ってくれました。

その先生は、陸上競技の経験がない先生でしたがとにかく一生懸命な方で、自分ができるはないか常に陸上部のために動いてくれてました。

その先生のために走りたいと挑んだ県春季大会100mで、大学生・社会人の次にゴールし3位。

リレーは優勝し自信を得るとともに陸上競技の楽しさを再認識できました。

そのままの勢いで挑んだ県高校総体は、幼馴染でもある船水コーチに

「やべー、新山に負けるかもしれないけどお互いに頑張るべ」

と言われました。当時は、その言葉に、

「決勝行くまで負けるなよ!」

なーんて言ってた自分が恥ずかしいですが(照)

船水コーチとは、

幼稚園の時からの幼馴染で、船水コーチは小学生の時に青森市外へ転校しました。

今こうやってコーチ同士で子供達に指導しているだなんて当時は考えもしませんでしたが。

それもまた

陸上競技の楽しさに触れたからこそだと思っています。

結果的に100mは船水コーチが優勝し私は2位でした。

当時の写真。左が私で中央が船水コーチ。

リレーは、無事優勝し県高校総体3連覇できました。

当時2走でしたが、優勝した時は言葉では言い表せないほどの感情が込み上げてきて

たくさん支えてくれた周りの方に感謝したのを今でも覚えています。

楽しい時も悲しい時も孤独な時も。

いろんなことを学生時代に体験してきた私がいるからこそ

今の自分がいるのだと思います。

決して1人ではない。

1人だと感じているのなら、私がチカラになります。

私以外にもこのUACAというチームがあります。

陸上競技は本当に最高のスポーツです。

楽しくやれる環境は全員で作るものなので、

あの当時の私みたいな人を出さないためにも

もっともっと頑張らないとな・・と記事を書いてて

再認識することができました。

何回でも言います。

陸上競技はみんなで楽しんでやるスポーツなんです。

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